
◼️久しぶりに近所のカルディへ行った。
切らしていたお気に入りのドレッシングを買うためだ。
カルディは別に安くない。それなのに、店内はいつも混んでいる。
輸入食品や珍しい調味料を眺めながら店内をぶらぶら歩く。
あの独特の空気が好きな人は多いのだろう。
私もその一人だ。
その日の朝、近所のスーパーをのぞいた。
すると開店前から人が並んでいる。
目当ては半額シールだ。
前日のスイーツや惣菜が値引きされる時間を狙っているらしい。
日経平均は最高値を更新している。
私が株を始めた頃から考えたら信じられないほど上がった。
それなのに、どうして「みんなが豊かになった」
という実感がこんなに薄いのだろう。
◼️高くても賑わう場所がある
東京ディズニーリゾートのチケットは、
気が付けば1万円を超えている。
それでも園内は人で溢れている。
祖父母が孫のために奮発して連れて行く話もよく聞く。
ランドセルもそうだ。
私たちが子育てしていた頃とは比べ物にならないような価格の商品が売れている。
「孫のためなら」
そう言って財布を開く祖父母は少なくない。
吉田拓郎のコンサートチケットも2万円を超えていた。
行きたかったのに全く取れなかった。
大相撲観戦チケットも何度トライしても取れない。
いつも完売。
スターバックスでは800円近いフラペチーノが当たり前のように売られている。
高いものが売れない時代ではない。
むしろ、高くても人が集まる場所にはしっかり人が集まっている。
その一方で、スーパーは半額シールを貼り続ける。
そしてそれを目当てに並ぶ人たちがいる。
同じ社会の中に、この両方が存在している。
◼️お金の使い方が二極化している
「K字経済」という言葉がある。
経済の恩恵を受けた人は上へ。
そうでない人は下へ。
アルファベットのKのように格差が広がる現象だ。
カルディで買い物をしている人たち。
ディズニーに行ける人たち。
高額なコンサートチケットを購入する人たち。
その中には、資産を持ち、子育ても終わり、
自分のためにお金を使える世代が
かなり含まれている気がする。
バブル崩壊も経験した。
リーマンショックも経験した。
それでも株や不動産を持ち続けた人たちは、
資産価格の上昇という果実を受け取っている。
孫への大盤振る舞いも、
その余裕から生まれているのだろう。
若い人たちもまた違う形で消費している。
結婚しない。
車を持たない。
家も買わない。
その代わり、推し活や旅行、おしゃれなカフェ、
最新のスマホやイヤホンなどのガジェット類には惜しまずお金を使う。
「将来のために我慢する」よりも、
「今の自分が楽しいことに使う」
それもまた合理的な選択なのかもしれない。
◼️配当金をもらいながらスタバを素通りする投資家
告白すると、私はスタバが勿体なくて入れない。
配当金を受け取っている投資家が、
800円のラテを見て躊躇する。
我ながら少しおかしい。
でもこれは節約とかケチとかではなく、
価値観の問題だと思う。
私の中のコーヒーの基準値は、
昔通った喫茶店の300円あたりで止まっている。
コーヒーチケットを買えばさらに安かった。
そんな時代を知っている。
だから800円のコーヒーを見ると、
どうしても脳内で計算してしまう。
一方で若い世代にとってスタバは、
私たち世代の喫茶店と同じ存在なのだろう。
日常の中の小さな贅沢。
最初からその価格が当たり前の世界で生きている。
世代によって「普通」の基準が違う。
案外、それだけの話なのかもしれない。
◼️カルディが売っているもの
結局、カルディが売っているのは安さではない。
お気に入りのドレッシング。
ここでしか見かけない調味料。
輸入菓子を眺める楽しさ。
店内を歩くちょっとしたワクワク感。
人は価格だけで買い物をしているわけではない。
納得感や楽しさにもお金を払っている。
日経平均が最高値を更新しても、
その恩恵がすべての人に届くわけではない。
開店前から半額シールを待つ人たちは、
その現実を静かに物語っている。
でも同時に、
価格ではない何かに価値を感じてお金を使える人たちも確実に存在する。
カルディの混雑も、それを証明している。
◼️日経平均は最高値を更新しても
日経平均がいくら最高値を更新しても
スーパーの半額シールを待つ列は消えない。
豊かになった人がいるのは確かだ。
でも、みんなが豊かになったわけではない。
そして私は今日も、配当金を受け取りながらスタバを素通りして、
カルディでドレッシングを買っている。
豊かさというのは、日経平均の数字ではなく、
自分が納得できることにお金を使える状態のことなのかもしれない。

良いものに出会ったとき、そっと感謝を形にできる人が好きよ。画面の向こうへの小さな会釈——お帰りの前に、忘れていないかしら?
押せばアラ還主婦たちのつぶやきに会えるわよ