
■「8.7億円」のニュースに、自分の「8000万円」を重ねて息が止まった日
朝、新聞をめくる手が止まった。
「8.7億円 SNS詐欺被害 80代男性 愛知県内の最高額」
一瞬、桁を見間違えたのかと思った。
8億7000万円。
あまりにも現実離れした数字だ。
けれど、私の胸を突いたのは「8」の方ではない。
「.7」──つまり7000万円の部分。
それは、もうすぐ60歳を迎える私が、何十年も働き、節約し、投資を積み重ね、
ようやく築き上げてきた全資産に近い金額だったからだ。
私にとっては、一生をかけてようやく辿り着いた数字である。
「よく頑張った、私。これだけあれば、もう老後に怯えなくてもいいかもしれない」
そんなふうに、ようやく少しだけ安心しかけていた金額。
それが、このニュースの主役にとっては、8億円の横につく"端数"なのだ。
レベルの違いに、軽くめまいがした。
そして同時に、素朴な疑問も浮かんだ。
「8億円も持っていたのに、なぜまだ増やそうとしたのだろう」
もちろん、被害に遭った方を笑うつもりはない。
むしろ次の瞬間、私は妙な冷や汗をかいた。
人のことを「まだ欲しがるなんて」と言えるほど、
私は枯れているだろうか、と。
■1000万円あれば安心できると信じていた頃
思い返せば、新米主婦だった頃の私は、もっと慎ましかった。
当時の目標は1000万円。
1000万円あれば、きっと人生は安定する。
老後も怖くない。そう信じていた。
スーパーで数十円安い肉を選び、特売日にまとめ買いし、
外食を我慢しながらコツコツ貯めていた頃だ。
気がつけば、資産はその頃の目標の何倍にもなっていた。
では、あの頃夢見ていた「絶対的な安心」が、
今の私にあるかと言えば──まるでない。
私は今でも働き、投資の画面を眺め、株価に一喜一憂している。
配当金が増えれば嬉しい。
資産が減れば落ち着かない。
結局、「もっと、もっと」と数字を追いかけ続けているのだ。
■5000万円残っても、マンションの判が押せない
実は最近、ずっと欲しいと思っているマンションがある。
今の資産で購入しても、手元にはまだ5000万円ほど残る計算だ。
年金もある。
普通に考えれば、老後資金としては十分すぎるのかもしれない。
それなのに、私は決断できない。
「もし病気になったら」
「息子がこの先もずっとこのままだったら。」
「この先、物価がもっと上がったら」
そんな"もしも"が次々に浮かんできて、
どうしてもお金を減らすことに恐怖を感じてしまう。
■『Die with Zero』に深く頷きながら、財布の紐を締め直す私
私は2年ほど前に読んだ『Die with Zero』を思い出した。
お金は、死ぬまでに使い切るくらいでちょうどいい。
経験や思い出、大切な人のために、生きているうちに使うべきだ──
という考え方の本だ。
読んだ時は深く納得した。
確かにその通りだと思った。
死んだあとに通帳に数字だけ残っていても仕方がない。
人生を豊かにするためのお金なのだから、
生きている今、使ってこそ意味がある。
頭では、本当にそう思っている。
なのに、いざ自分のお金となると、
私は財布の紐をぎゅっと締め直してしまうのだ。
■お金は増えるほど、「失いたくない」恐怖も一緒に膨らむ
8.7億円持っていたのに、SNSの甘い投資話に乗ってしまった80代の男性。
そして、5000万円残る計算なのに、
怖くてマンション購入の判を押せない59歳の私。
動かしている金額の桁はまるで違う。
けれど、根っこにあるものは案外同じなのかもしれない。
お金は、不思議だ。
増えれば増えるほど安心できるわけではない。
むしろ、「失いたくない」という恐怖まで一緒に膨らんでいく。
数字が増えても、心の安心メーターは比例して上がらないのだ。
「ゼロで死ぬ」という潔い生き方に憧れながら、
私は今日も「安心の盾」を少しでも厚くしようとしてしまう。
私たちは、いつになったら
「もう、これで十分だ」と思えるのだろう。
そう考えながら、私は今日も証券口座の数字をそっと確認している。
安心したくて始めたはずなのに。
いつの間にか、その数字に安心を人質に取られている。
※本記事は筆者個人の投資経験・考え方をもとに書いたものです。特定の銘柄や投資手法を推奨するものではありません。投資にはリスクが伴います。最終的な投資判断はご自身の責任でお願いいたします。

良いものに出会ったとき、そっと感謝を形にできる人が好きよ。画面の向こうへの小さな会釈——お帰りの前に、忘れていないかしら?
押せばアラ還主婦たちのつぶやきに会えるわよ