小金持泰子〜汗も涙も流さず静かに資産を増やす〜

必死に働いて節約もしてきた。それでも老後の不安は消えなかった。だから私は投資という選択肢を取った。投資(勿論、NISAも活用)と少しの現金で、静かに資産を積み上げている。汗も涙も流さない主義。だって、お化粧が崩れてしまうわ。

スーパーのレジ名人、あなたも同じ時給なの?それ、やっぱりおかしいわ。


■ その列に、今日も並ぶ

いつも行くスーパーに、“レジ名人”がいる。
列が多少長くても、私はその人のレジに並ぶ。
隣が空いていても並ぶ。
なぜなら、結局いちばん早いからだ。
その人のレジ打ちは、見ていて惚れ惚れする。
カゴから商品を取り出しながらバーコードを通し、
重いものと軽いものを瞬時に見極め、
詰め替え用のカゴへ美しく収めていく。
動きに無駄がない。視線が泳がない。
手が止まらない。
次のお客の準備まで、もう始まっている。
あれは単純作業ではない。
長年積み上げた、本物の技術だと思う。
そして毎回、ふと考える。
隣のレジの人と、同じ時給なんだよね。

■ 速さは、給料にならない

おそらく1時間にさばく客数は、1.5倍くらいこなしてる気がする。
それでも時給は同じ。
「1時間働いたら1時間分」
そのシンプルなルールの前では、
速さも、正確さも、気配りも、
ほとんど値段がつかない。

やってられないよねと思う。
私は客として、その人の速さと快適さに乗っかっている。
並ぶたびに少しだけ申し訳ない気持ちになる。
あなたが有能だから、みんなあなたの列に並ぶ。
でも、その能力は時給にほとんど反映されない。
なのに私は、また来週もそこへ並ぶ。

■ 早く終わらせたご褒美は追加業務

他人事みたいに書いているけれど、
実は全然、他人事ではない。
私は事務職を35年続けた。
結婚しても、子どもが生まれても、ずっと同じ職場で働いてきた。
自分では、事務職に向いているとは思っていなかった。
けれど35年続いたということは、まあ、向いていたのだろう。

そして私は、どちらかといえば“手が早い人間”だった。
同じ仕事量なら、たいてい人より早く終わる。
するとどうなるか。
また次の仕事が来る。
さらに来る。
気づけば「できる前提」で仕事が積まれていく。
説明もない。
感謝もない。
いつの間にか、“できる人がやるのが当然”になっている。
それでも給料は、隣の席の人とたいして変わらない。
何度、もう辞めてやる!と思ったことか…

早く終わらせたご褒美が、追加業務なのだ。

■ 日本は、できる人に甘える

仕事が早い人間が損をする。
これはスーパーのレジだけの話ではないと思う。

事務職もそう。
看護師さんもそう。
介護士さんも、飲食店も、工場も、たぶんどこもそうだ。

結局、現場は「ちゃんとできる人」に寄りかかって回っている。
そして、できる人ほど黙ってやる。
文句を言わず、手を抜かず、雑にもならず、
結局きっちり仕上げてしまう。
だから周囲は甘える。
「あの人なら大丈夫」で回り始める。
でも、その“当たり前”は、本当はかなり特殊な能力なのだ。

■ それでも、名人は今日も打ち続ける

それでも、あのレジ名人は今日もレジを打っている。
速いまま。
丁寧なまま。
客に雑な顔ひとつ見せず、淡々と打ち続けている。
なぜ辞めないのだろう、と時々思う。
誇りなのか。
性格なのか。
それとも、もう身体に染み込んでいるのか。
たぶん本人にしかわからない。
でも私は、あの人の仕事を見るたびに思う。
能力がある人というのは、結局ちゃんとやってしまうのだ。
損だとわかっていても。

■ 来年、私は辞める

来年、私は還暦で退職する予定だ。
退職金をもらって、35年勤めた職場を去る。
少し休んで、そのあと気が向いたら、
軽くアルバイトでもしようかと思っている。
スーパーのパートも、一瞬考えた。
でも私は、あのレジ名人みたいには打てない。
あの人は時給で働いているのに、
仕事は職人である。

たぶんこれからも私は、
客として、あの列に並ぶ側だ。


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