
■ 昨夜の私は、点々に負けた
昨夜の私は、変換ミスひとつに人生の縮図を見た。
「キスだらけ」のはずが「キズだらけ」になる——頼んでもいないのに、点々は勝手に降ってくる、と。
けれど今夜の私は、少し機嫌がいい。
スマホの画面に並ぶ数字を眺めながら、ふと思う。
「私の人生、降ってきているのは濁点ばかりじゃないわね」
■ 地味で孤独な、五年間
株式投資を始めて、五年。
この五年の間に、画面が何度真っ赤に染まったことか。
そのたびに心臓が縮み上がり、それでも私は手を離さなかった。
信じて、買い集めて、じっと耐える。
お洒落も旅行も我慢して、いつかの観劇のためにドレスを仕立てるような——そういう、地味で孤独な作業だった。
■ 過去の私から、未来の私へ
気づけば、ポートフォリオには頼もしい名前が並んでいる。
取得単価を見て、思わず笑みが漏れた。
あの嵐の中で震えながら買った一株が、今や立派な果実をつけている。
年利八パーセント超え。
これは数字じゃない。不安を飲み込みながら、
「あの時の私」が「未来の私」へ贈ったギフトだ。
点々の雨がどれほど冷たいか、身に染みて知っているから——配当という名の雨は、こんなにも温かく感じる。
■ それでも私は歩いている
人生、頼んでもいない点々は、これからも降ってくるだろう。
相場だって、明日にはまた嵐になるかもしれない。
でも私は知っている。
キズだらけになっても、配当という名の雨が優しく降ってくる日もある。
派手に人生を変えてくれるわけじゃない
けれどまたちゃんと歩けと言ってくれる。
どうせ降るなら濁点より、配当がいい。
※本記事は筆者個人の投資経験・考え方をもとに書いたものです。特定の銘柄や投資手法を推奨するものではありません。投資にはリスクが伴います。最終的な投資判断はご自身の責任でお願いいたします。
関連記事↓↓↓

良いものに出会ったとき、そっと感謝を形にできる人が好きよ。画面の向こうへの小さな会釈——お帰りの前に、忘れていないかしら?
押せばアラ還主婦たちのつぶやきに会えるわよ
