
職場の同僚に、またしても
「泰子さんはお金持ちだからいいわよね」
と言われてしまった。
私が
「還暦を迎えたらスパッと会社を辞めて、あとは好きなことをしてのんびり暮らしたいの」
と口にするのが、彼女にはよほど浮世離れした話に聞こえるらしい。
彼女に言わせれば、そんなことをしたら生活が立ち行かなくなる、というのだ。
■「泰子さんはお金持ちだから」という言い訳
彼女は今年五十三歳。私より六歳も若く、ご主人もしっかり働いていて、お子さんもいない。それなのに、毎日のように
「お金がない、時間がない」
と嘆き、スマホ代や保険料という名の「見えない穴」に、せっせと月々数万円ものお金を流し込み続けている。
たまに私が旅行に出かける話をすれば、「ウチは旅行なんてとてもとても……」と羨ましそうに目を細めるけれど、その一方で、彼女のスマホにはしょっちゅうネットショッピングの通知が届いている。
彼女が私を「お金持ち」と呼ぶとき、そこには少しの諦めと、自分を納得させるための言い訳が混じっているような気がする。
「泰子さんは特別だから。私とは土台が違うから」
そう決めつけてしまえば、毎月の支払明細を「怖くて見られない」自分を正当化できるからだ。
■自由は、積み重ねの果てにある
けれど、断言してもいい。私が手に入れようとしている「六十歳からの自由」は、宝くじに当たったわけでも、特別な資産があったわけでもない。
二人の子供を育て上げ、マンションのローンを十年間で完済し、日々の生活の中で「本当に自分を幸せにしてくれるものは何か」を必死で仕分けしてきた、その積み重ねの果てにあるものなのだ。
■半分捨てられたコーヒーの、本当のコスト
ある日、彼女がぽつりと話してくれたことがある。近くのスーパーで買い込んだ食材を使い切れずに捨ててしまうことが多い、と。
大きなマグカップに淹れたコーヒーも、
いつも半分ほど残して流しに捨ててしまう、と。
その「半分捨てられたコーヒー」の積み重ねが、彼女から旅行の機会を奪い、将来の不安を膨らませていることに、彼女自身はいつ気づくのだろうか。
家計簿を見直すのが「怖い」のは、自分のこれまでの無頓着さを認めるのが怖いから。
でも、その恐怖の向こう側にしか、本当の自由はない。
■一番贅沢な買い物
私が六十歳で会社を辞めたいのは、贅沢を極めたいからではない。自分の人生の時間を、自分自身の手に完全に取り戻したいからだ。それは、どんな高級ブランドのバッグを買うよりも、ずっとエキサイティングで贅沢な買い物だと思っている。
「泰子さんは、どうしてそんなに思い切りがいいの?」
いつか彼女に聞かれたら、私は少しだけ意地悪く、こう答えてみようかしら。
「それはね、マグカップのコーヒーを最後の一滴まで飲み干すような、そんなケチな生活を愛してきたからよ」
自由の種は、いつだって自分の手のひらの中にある。それに気づかず、外側ばかりを眺めて「いいわねえ」と溜息をつく彼女の隣で、私は今日も、お気に入りの手帳に次の旅の計画を静かに書き込んでいる。
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