小金持泰子〜汗も涙も流さず静かに資産を増やす〜

必死に働いて節約もしてきた。それでも老後の不安は消えなかった。だから私は投資という選択肢を取った。投資(勿論、NISAも活用)と少しの現金で、静かに資産を積み上げている。汗も涙も流さない主義。だって、お化粧が崩れてしまうわ。

自分のお城に憧れた少女と失った夢


五十年前、社宅の片隅で

我ながら、つくづく業の深い女だと思う。
実家は古くて、狭くて、薄暗い社宅だった。
自分の部屋など、夢のまた夢。
そんな少女にとって、新聞の折り込みチラシに挟まれた間取り図は、
立派な「現実逃避ツール」だったのである。
お小遣いを握りしめて買ったのが、インテリア雑誌『私の部屋』。
今のようにブックオフも百円ショップもない時代、
定価で買うその一冊は、小学生にとって「超」がつく高級品だった。
それでも、お年玉がある時には思い切って買ったものだ。
「いつか、こんなカーテンを」
「こんな木の机で、自分だけの時間を過ごしたい」
……かわいかったな、あの頃の私は。

手に入れたはずのマイホームが、ガラクタ置き場になった

大人になり、結婚し、必死に家計をやりくりして、
ついにマイホームを手に入れた。
夢が、叶った――はずだった。
ところが、現実というのは実に残酷なものである。
せっかく手に入れたマンションは、夫が持ち込む
「ガラクタ」と「残骸」で、みるみる埋め尽くされていく。
インテリアの「イ」の字も感じられない、ただの生活の堆積場。
私が夢見た『私の部屋』は、一体どこへ消えてしまったのか。
「自分の家なのに、どこか借り物のよう」という感覚。
これを理解できない人には、一生わからないだろう。
そして、わかってしまう人には、深く頷いていただけるはずだ。

夢は、形を変えて生き続ける

息子が大学生になり、一人暮らしを始めた頃のことだ。
主のいなくなった子供部屋を、自分の部屋として整え直した。
カーテンを選び、机を置き、自分だけの時間を過ごす。
ふと、あの少女の頃の感覚が蘇ってきた。
失われたと思っていた『私の部屋』が、少しだけ、私の手元に戻ってきた。
五十年越しの、小さな奪還だった。
でも、小さな奪還では飽き足らなくなっている自分がいる。
社宅の片隅で間取り図をなぞっていたあの少女の夢は、
五十年の時を経て、むしろ大きく、切実になった。
自分だけの城。
誰にも遠慮せず、好きなものだけに囲まれて、心の底からくつろげる場所。
それはもはや、憧れではない。
生きるための「自由への切符」だ。
城を手に入れるには、夢を見るだけでは足りない。
現実的な「資金」という武器も、必要なのである。
だから私は今夜も、投資の画面と不動産サイトを、静かに行き来している。

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良いものに出会ったとき、そっと感謝を形にできる人が好きよ。
画面の向こうへの小さな会釈——お帰りの前に、忘れていないかしら?