
昭和32年生まれの夫という、時代の標本
昭和32年生まれの夫というのは、本当によくできた「時代の標本」である。
現金至上主義、貯金こそ正義、そしてスーパーのチラシへの愛情は、
もはや信仰の域に達している。
定年退職してからというもの、一日の相当な時間を、
あの薄っぺらな紙切れの研究に捧げているのだから、
呆れるやら感心するやら。
10円のために、私の午後は差し出せない
「あっちの店より10円安い」「今日は卵の特売日だ」
その眼光の鋭さを、せめて半分でも私に向けてくれたなら、
と思っていた時期もあった。でも、もうやめた。
期待するだけ、こちらの負けである。
夫にとって、汗水垂らして働くこと以外で「お金を増やす」などというものは、
たとえ新NISAのような国のお墨付きであっても、
この宇宙がひっくり返っても許されぬ「博打」なのだろう。
配当と複利の甘い蜜を、知ってしまった
正直なところ、私自身だって最初は震えた。
こんなこと、していいのかしら、と。
でも、配当と複利の甘い蜜を知ってしまった女は、もう昔には戻れない。
10円を拾うために、私の貴重な午後を差し出すなんて、
もったいない。
夫の「昭和の物差し」では、私の幸せも、
そして資産の育て方も、永遠に測れないのだ。
こっそりやる。それの何が悪い
だから私は、こっそりやる。
自分のお金で、自分だけの「経済的な聖域」を、
誰にも文句を言わせずに手に入れる。
それの何が悪い、
と今では堂々と言えるようになった。
夫が10円を数える隣で、私は階段を登る
今夜も夫はダイニングで広告を広げている。
10円の攻防に真剣な横顔で。
私はその隣で、スマートフォンの画面を静かに覗き込む。
こちらは10円どころの話ではない世界が、
小さな画面の中で、複利という魔法をかけられて動いている。
夫よ、あなたが広告を愛する時間、
私は「小金持」への階段を一段ずつ、静かに登っている。
※本記事は筆者個人の投資経験・考え方をもとに書いたものです。特定の銘柄や投資手法を推奨するものではありません。投資にはリスクが伴います。最終的な投資判断はご自身の責任でお願いいたします。