
すべてを話すことが、信頼だと思っていた
夫婦なんだから、すべてを共有するべきだ。
かつての私は、それを疑いもしなかった。
何かを決めるたびに夫に相談し、
「いいんじゃない」と言われてから動く。
それが正しくて、穏やかで、どこか安心できる形だと信じていた。
えいやっと判を押した、あの頃の私
三十年前。
電話帳を握りしめ、指が擦り切れるほど番号を追いながら、保育所を探していたあの頃の私は、今思えば、恐ろしいほど無鉄砲だった。
貯金は心もとない。
収入だって決して多くはない。
それでも、子供を預け、働き、そして——数千万円のマンションに「えいやっ」と判を押した。
今の私なら、きっと同じことはできない。
未来は、計算すれば見えてしまう
けれど、日々のやりくりの中で、私はある”現実”に気づき始めていた。
家のローンは、少しでも早く返したい。
子供たちの教育費も、確実に用意しなければならない。
そして、自分たちの老後資金。
未来は、ぼんやりとした不安ではなかった。
何年後に、いくら必要になるのか。
それは、少し計算すれば、驚くほどはっきりと見えてしまう。
子供たちは18歳から4年間、まとまった資金が必要になる。
私たちは60歳で定年を迎える——そう信じていた時代だった。
その現実を前にして、私は静かに理解してしまった。
このままでは、間に合わない。
夫は悪くない。ただ、違うのだ
夫は悪くない。
ただ、違うのだ。
彼にとっては、「減らないこと」が安心であり、
私にとっては、「増やすこと」こそが守りだった。
どちらも間違いではない。
けれど、そのままでは、同じ未来には辿り着けない。
静かに、舵を切り始めた
私は、少しずつ舵の切り方を変えた。
すべてを話すのをやめたわけではない。
けれど、すべてを委ねるのもやめた。
表向きは、安心できる形を整える。
その裏で、静かに数字を積み上げていく。
正論が通じない相手に、正論をぶつけるほど無意味なことはない。
家庭とは、理屈だけで動く場所ではないのだから。
負けてないわよ
そして——
その沈黙の積み重ねの先に、
私はようやく、自分だけの城の入口に立っている。
若さという名の狂気で踏み出した一歩と、
老いという名の算盤で積み上げてきた現実。
どちらが欠けても、ここには辿り着けなかった。
あの頃の私に、胸を張って言ってやりたい。
「負けてないわよ」と。
そして今日もまた、何食わぬ顔で日常を回しながら、
私の算盤は、静かに未来を弾き続けている。
そしてこの静かな移送には私たちにとってもうひとつ大きな意味がある。
それは後日また。
※本記事は筆者個人の投資経験・考え方をもとに書いたものです。特定の銘柄や投資手法を推奨するものではありません。投資にはリスクが伴います。最終的な投資判断はご自身の責任でお願いいたします。
