お金はあるのに、満たされない人がいる。
本屋大賞受賞作品
朝井リョウ氏の『イン・ザ・メガチャーチ』。
彼の描く文章の、あの独特の解像度の高さが好きで昔から読んでいるけれど、
今回もまた、
現代人が見ない振りをしている急所を鮮やかに突かれた気分だ。
物語に登場する、推し活に文字通り人生を捧げる女性たち。
注ぎ込む金額の凄まじさには溜息が出る。
私のように、汗も涙も流さず「静かに」資産を積み上げたい人間からすれば、その刹那的な浪費は無駄遣い以外の何物でもない。
けれど、彼女たちはそのために必死に働き、その一瞬に救いを見出している。
踊らされてるだけなのかもしれなくても
自分が幸せなら、それも一つの生き方なのだろうと思う。
他人の選択には、そう割り切れる。
身近な人間のこととなると、なぜそう簡単に割り切ることができないのだろう、
と思いながら。
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預金だけが残った人の末路
読み進めるうちに、ふと手が止まったのは、ある孤独な中年男性の描写だった。
仕事だけを必死にこなし、他には何もない。
気づけば家族との間には見えない溝ができ、
仕事で少し躓いた途端に、巨大な孤独の波に飲み込まれる。
銀行口座にはそれなりの金が貯まっている。
けれど、彼はその使い道を知らないのだ。
これ、どこかで見た景色だと思ったら、
リビングにいる我が家の夫そのものじゃない。
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お金があっても満たされない理由
「24時間戦えますか?」という昭和の猛烈社員のフレーズを地で行き、
家族を顧みず会社に尽くし、そのまま定年を迎えた男。
お金はある。
けれど、それだけで人は幸せになれるほど単純ではない。
彼は金を使うのが下手だし、楽しむ術も知らない。
結局、通帳の数字が増えるのを見る以外に、
自分を慰める方法がないのだ。
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見えない資産という決定的な差
夫が外で戦っていた(と本人が思っている)間、
私は家事、育児、そして会社員としての仕事を、すべてワンオペでこなしてきた。
あの頃の孤独な戦いを思えば、
今の夫の所在なげな姿を見ても、
正直「自業自得」という言葉が頭をよぎる。
子どもたちは残酷なほどよく見ている。
何かあったとき、彼らがどちらの味方をするか。
それは、かつて誰が自分たちのそばにいて、
誰が日々の暮らしをまわしてきたかという一点に尽きる。
夫には通帳の数字はあるけれど、
子どもたちの信頼という「目に見えない資産」が決定的に欠けているのだ。
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小説に出てくる中年の彼には、娘がいる。
離れて暮らしているその娘の留学費用を、
彼は迷いなく出している。
そのこと自体は、きっと父親として自然なことなのだろう。
けれど、そのお金がどう使われているのかまでは、彼は知らない。
本当は、ただ会話をしたかっただけなのかもしれない。
同じ時間を過ごしたかっただけなのかもしれない。
でも、その方法が分からない。
だから彼は、ただ黙ってお金を差し出す。
それが、今の彼にできる唯一の「繋がり方」だから
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ふと視線を上げると、リビングにいる夫の姿が重なる。
お金でしか、家族と繋がる術を持たない人間の姿が、そこにあるような気がしてしまうのだ。
そして、私はやれやれと思いながら、今夜も
黙って夕飯の支度をする。
幸せのポートフォリオはどう作るべきか
朝井氏が描く物語は、単なるエンターテインメントではない。
それは「幸せのポートフォリオ」をどう組むべきかという、
私たちへの冷徹な問いかけでもある。
静かに資産を増やすこと。
それは数字を追うだけでなく、
最期に「私は幸せだった」と自分を納得させるための、
心の余白を作ることなのだ。
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お金は「何のために」貯めるのか
さて、私の積み上げてきたものは、
果たして正解だったのか。
本を閉じた後、
しばらく考え込んでしまった。
お金を増やすことは手段であって、
目的ではない。
では、その先にある「満足」や「幸福」は、
どこで手に入れるのか。
その答えを、これからも探し続けていきたいと思う。
